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大寳寺の創建は1603年ですが、本堂は宝暦元年(1751)と寛永五年(1852)の二度火災にあっています。特に寛永五年の火災は府中大火と呼ばれ民家1437戸、寺社23が焼けるという大火でした。
この火災のため大寳寺は本堂はいうにおよばす、寺内の大方の建物が焼失しました。
(この火災で焼失をまぬがれたのが水吹地蔵尊のお堂です)現在の建物は安政五年(1858)に再建されたもので、九間×九間の大きな伽藍です。
堂内には弥陀三尊仏を中心に、向かって右に善導大師、左に法然上人を安置しています。
また、本堂内、南東の部分には、以前境内あった回向院の仏像が厨子におさめられています。
弥陀三尊仏の他に、さまざまなお姿の観世音菩薩、三十三体、また、善光寺様式の弥陀三尊物、さらにが空海上人のお像が厨子に安置されてます。お堂の正面は開いています。火気に厳重注意の上、ご参拝ください。
開基の折、総本山知恩院から祝いとして下賜された伝恵心僧都作の阿弥陀如来をはじめとする寺宝を災害から護ることを願って、二十五世法譽代に寺崎輝夫一級建築士の設計で建設された。
開基の折、総本山知恩院から祝いとして下賜された伝恵心僧都作の阿弥陀如来をはじめとする寺宝を災害から護ることを願って、二十五世法譽代に寺崎輝夫一級建築士の設計で建設された。
おんだしの鐘は、大道、久保、康申町等は鍛冶屋多し。
鍛冶屋の奉行の役職あり、その奉行より頼まれしとか。鍛冶屋の仕事は午前3時に始まる。職場新方の家内は、2時ころから職人の家を起こしに歩く。
職人の手先という。妻のいない若者は、遊郭に遊びにいく。当山の鐘が鳴ると女共は先手共を追い出すように、帰りを促す。よって「追い出す」が訛って、「音出し」となったのであろうという。但し当山の鐘だけを音出しという。
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