2018-11-09
物心不二(ぶっしんふじ)
ものごとを「物」と「心」に分けてとらえることがあります。さて、現代の日本はかつてないほどの物質的な豊かさを享受しています。
新聞、雑誌、ネットなどのメディアはさらに消費者の購買欲をそそろうと華やかな記事や広告を満載します。
一方でセクハラやパワハラ、いじめ、ヘイトスピーチ、ささいな諍(いさか)いによる暴力や殺人、オレオレ詐欺や贈収賄、倫理を欠いた組織運営など連日のように心の荒(すさ)びを示す報道がなされます。まるで物が豊かになると、それに連動して心が貧しくなるようにすら見えます。
はたして、「物」の豊かさと「心」の豊かさは両立しないものなのでしょうか。
おそらく、急速な科学や産業の発達に目を奪われるあまり、人々の関心が「物」の方にばかり向い、「心」には向きにくいことが、これらが両立しない原因ではないでしょうか。
仏教には「不二」ということばがあります。対立して違っているように見えることが、実際にはお互いに依存して切り離せない状態にあることを表しています。表と裏、上と下、生と死などいろいろあります。
仏教は「物」と「心」も不二の関係にあると説きます(物心不二)。
したがって、心のことをとらえるには物について、物のことを考えるときには心について配慮すべきだということになります。
物の仕組みや働きを解き明かすのに秀でた科学、人々の知恵やたゆまぬ努力によって生み出された発明を、心の豊かさにどう結びつければよいのか。また、物の豊かさを真に生かす心のありようはどうあるべきかが、現在、問われています。
物の豊かさと心の豊かさを両立すること。これは現代人にとって大きな課題です。すべてについてそのままでよいとは、とても思えませんが、人類の祖先が大切に守り育ててきたさまざまな宗教はそのための鍵になると思います。
ただ、このことの実現は容易ならざる道です。なぜならこれほどまでの物質的豊かさを人類は今までに経験したことがないのですから。