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2019-07-06

智慧と慈悲 ある雨の日の一場面

時折強い雨が降る蒸し暑い 朝のこと、A さんは いつものように 通勤のバスに乗り込みました。ただでさえ人いきれのする満員のバスの中は、濡れた衣類や雨具のせいで不快なことこの上もありません。
 おまけに 座席の後方から、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきます。こんな天気の中、しかも通勤時間に赤ん坊を連れだした母親の常識を疑ったのは決してAさんだけではなかったはずです。
 そんな乗客の思いを知ってか、知らずか、母親は次のバス停が近ずいた時、乗客をかき分けるように乗降口の方に出てきました。それから料金を払らおうと、小銭を取り出そうとするのですが 、赤ちゃんを抱っこしている上に、引きずっているベビーカーが邪魔になって思うようになりません。赤ちゃんは相変わらずぐずっています。

その時 バスの運転手が 声をかけました。
  「お母さん、 こんな雨の中、赤ちゃんを連れてどこへ行くの。?」
  「〇〇病院です。この子が昨日の夜から熱があるんです。」
  「〇〇病院だったら、この先二つ目のバス停ですよ。
  「ええ、でもこの子があんまり泣くので乗客の皆さんに迷惑だと思って。 」

これを聞いたバスの運転手さんは、マイクを通して、語りかけました 。「乗客の皆さん、蒸し暑い中、大変混雑していて申し訳ありませんが、このお母さんの赤ちゃんが熱があるので〇〇病院に行かれます。あと2つ先のバス停まで、ご辛抱願います。」
 窓側の座席に座っていた初老の紳士のように、拍手こそしませんでしたが、Aさんのイライラはどこへやら。運転手さんのことばに感動すら覚えました。また、下車していったお母さんの目にも、うっすらと涙が浮かんでいるようでした。

人いきれと蒸し暑さ。バス内の環境は変わっていません。では、一体何がAさんの心を変えたのでしょうか。
 まず、バスの運転手さんの機転で、なぜこのお母さんが赤ちゃんを連れてバスに乗っていたかという理由が分かったということがあります。また、このことがきっかけになって、このお母さんに同情し、思いやりの心が生じたのでしょう。
 悟りにいたる八つ方法(八正道)の中に「正見」と「正思惟」があります。正しくものごとをとらえ、正しく思んばかることです。
 運転手さんのことばは、Aさんの誤解をときました。そして、その時生じた心は仏教のとく「慈悲」です。慈悲とは「抜苦与楽」、つまり、人の苦しみを取り除き、安らぎを与えようとする思い、また、そのような行為のことです。
 誤解にもとずく片寄った見方は、憤りや不満、あるいは不安を増長します。しかし、そのような状態にある時、自分でそのことに気づくことは、かならずしも容易ではありません。
 仏教を学び実践すること、わけても、愚者の自覚のもとに念佛を称えて日々を過ごすことは、きっと、そのような誤解をとき、心に安らぎをもたらしてくれるに違いありません。

合掌

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