2019-11-03
自分を愛する
この世の中には、愛が足りないの。みんなもっと認められたいし、もっと愛が欲しい。いい社会をつくるためには、まずは今すぐ自分を愛してあげて。自分を愛するからこそ、自分に自信が出てきて人のことも愛せるようになるから。
(タレントのりゅうちぇるさんの「自分らしく生きるって難しくない?」というテーマの対談での発言です。)
りゅうちぇるさんの意見は「愛の反対は、憎しみではなく無関心だ」という言葉を想い起こさせます。ただ、無関心の反対、すなわち「関心を持つことが、愛すること」とは言えません。なぜなら、憎むことも、相手に関心があればこそのことだからです。
おそらく、りゅうちぇるさんの主張は、「(相手に合わせようとするのではなく)自分自身に関心をもって、あるがままの自分を肯定的に受け入れよう」ということなのでしょう。周囲に合わせることを強要し、異質な者を排除しがちな、日本社会のありようが背景にあってのことだと思われます。
ところで「自分を愛するからこそ、人のことも愛せる」というのは、まず「自分」を愛して、次に「他人」を、ということではないと思われます。
「自分」と「他人」は縁起の関係にあります。縁起とは「Aがある(生じる)からBがある(生じる)。Bがある(生じる)から、Aがある(生じる)。
また、Aがなけれ(なくなれ)ばBはない(なくなる)。Bがなけれ(なくなれ)ばAもない(なくなる)」という相互に依存した関係です。「自分」があるから、「他人」があり、「他人」があればこその「自分」なのです。
したがって「自分を愛することは、そのまま他人を愛すること」であり、「他人を愛することは、自分を愛すること」、また「あるがままの自分を肯定的に認めることは、あるがままの他人を肯定的に受け入れることであり、その逆もまた真である。」いや、そうでなければ本当の愛ではないというべきかも知れません。
りゅうちえるさんは「いい社会をつくるためには、自分を愛してあげることが必要だ」ともいっていますが、本当にそうでしょうか。
人間、動植物、あるいはさまざまな物事を人は愛したり憎んだりします。ただ、愛することも、憎むことも、さまざまな条件(縁)により生じたり滅したり(縁起)します。
当然のことながら、そのような条件すべてを把握し、それらを思うように操ることなど不可能です。したがって、「愛する」ことも「憎む」ことも、自分の思うようにならないというのが仏教の教えです。
仏教の教えと実践は、ものごとをあるがままにとらえる視点、また、それにもとづく実践のための知恵を示してくれます。
「いい社会をつくるためには、仏教を学び、実践することこそが必要だ」と、私は思います。