2019-12-01
自分を愛する2
目の具合が悪いからといって、自分の目で見て確かめることはできません。手が痒いからといって、その手で、痒いところを掻くこともできません。
一般的に「見る」とか「掻く」のような他動詞の場合、主語とその動作の対象(目的語)が同じであることはできません。
ところで「自分を愛する」という文章の主語は何でしょうか。省略されている主語を補えば先の文章は「自分が自分を愛する」ということになるでしょう。「自分がいやになる」、「自分を褒める」などについても同じことがいえます。どうして「自分」という主語は「自分」という目的語をとることができるのでしょうか。
「(自分が)自分を愛する」というとき、「愛する」とは、心のありようですから、主語は「自分の心」です。多くの場合、「愛する」対象は自分の容姿、体力や知的能力、性格などで、そのために、ファッションやコスメに凝ったり、ダイエット、エージング・ケアや筋トレに励んだり、中には美容整形をしたりする人がいます。これらの場合「自分を愛する」といっても、主語と目的語は中身が違っています。
では、「自分の心」が「自分の心」を愛する、つまり、主語と目的語が全く同じということはあり得るのでしょうか?