2020-02-11
自分を愛する3
遠藤周作の「あなたはあなたを知っているか」という放送大学の講座はYoutubeで視聴できます。その中で彼は三つの自分について語っています。
ひとつは「自分だけが知っている自分」です。誰にでも他者に対して秘密にしている部分があります。ふたつめは「人に見せようとしている自分」です。他者に自分をよく見せようとしたりします。本音と建前、あるいは内面、外面といってもいいかも知れません。
さて、遠藤周作のいうもうひとつの自分とは何でしょう。それは「自分の知らない自分」です。先のふたつは自分で認知し、制御することが可能です。しかし、「自分の知らない自分」はそうではありません。それは無意識に属するからです。
仏教の唯識論は阿頼耶識(あらやしき)の存在を説きます。阿頼耶とは「住居」という意味で、人が生きていくときに、さまざまな体験や情念が種として阿頼耶識に記憶されます。
人は状況に応じてさまざまな行動をとり、それにともない人の心にはいろいろな想念が生じます。それらは過去において阿頼耶識に蓄積した種の働きによると唯識論は説きます。もちろん阿頼耶識は無意識、つまり「自分の知らない自分」の働きですから、直接、観察したり、制御することはできません。
りゅうちぇるさんは「良い社会を作るために 手っ取り早い方法は 自分を愛してあげることで、まずは自分を愛してあげて」と、言っていますが、唯識論によれば、愛することも嫌うことも「自分の知らない自分」が生み出す感情です。そうであれば「自分を愛してあげる」ことは誰にでも手軽にできることではなさそうです。
法然上人は誰にでもできる易しい行として、声に称える念仏、「口称念仏」を勧められました。自分を愛するとか、愛さないとか問うことにあまり意味はないと思います。三つの自分、「自分が知っている自分」、「自分が人に見せようとしている自分」、わけても「自分の知らない自分」を阿弥陀さまに、まかせればよいのです。 一向(ひたすら)に南無阿弥陀仏を称えて生きていけば、阿弥陀さまは、きっと私達の阿頼耶識にたまった悪い種を取り除き、心に安らぎを与えてくださいます。さらに、そのことこそが社会の浄化や安寧につながるのではないでしょうか。
インド亜大陸とチベット高原との境を東西に連なる大山脈、ヒマラヤの語源は古代のインドの言葉であるサンスクリットのヒマ(雪)とアーラヤ(住居)を組み合わせた語で「雪のたまるところ」という意味だそうです。