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2020-09-22

安らかに眠る

「天国で安らかにお眠り下さい。」というのが、死者との別れの常套句となっています。宗教心の有無、あるいは宗派を問わない無難な表現だからでしょう。
 念仏の教えにもとづけば、「お浄土で再会しましょう。」という挨拶もあるのですが、こちらはあまり耳にしません。科学的でないことは避けるべきだという現代人の感性に、そぐわないからでしょうか。
 一方、お墓やお仏壇にお参りするとき、 仏様やご先祖に家族の近況を報告したり、 家内安全や商売繁盛、無病息災などを祈ったりする人は少なくありません。
 安らかに眠っているはずのご先祖に、語りかけたり願いごとをすれば、寝た子を起こすようなことになって、辻褄があいません。
 妙なる音楽が流れ、昼夜をとわず黄金の大地に曼荼羅華の花が降り注ぐという極楽浄土の住人は、朝には他国の十万億もの仏さまに美しい花を供え、昼食の後には、心をととのえるため静かに散歩をすると、阿弥陀経に説かれています。
 経典によれば、お念仏の功徳により極楽に往生したご先祖は安眠してはいないのです。それどころか、私たちが眠っている間も、きっと、私たちのことを見守ってくださっているにちがいないのです。
 科学的見地に即しているか、どうかはともかく、私たちは仏さまやご先祖に見守られて生きている、あるいは生かされていると気づくことが、この世の人生を全うするための智慧であると、仏教、また念仏の教えは説くのです。

合掌

※ 人の睡眠にはレム睡眠とノンレム睡眠があるといわれています。レム睡眠の時には目がキョロキョロと動いて、夢を見ている、ノンレム睡眠の時には脳は活動を休止し熟睡していると言われています。
 いずれの状態も身体と脳(心)のバランスのために、人間には必須のことだと考えられます。
 一方、仏さまやご先祖の世界は物質を超越しています。心は存在しますが、体は存在しないと考えられます。したがって、睡眠はもともと無用の世界だと考えざるをえません。

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