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2021-12-06

十悪と仏罰

功徳とは「神仏から良い報いをいただける良い行い」のことです。ならば、 悪い報いを与えられる悪い行い」というのはあるのでしょうか。
 仏罰という言葉があります。「ぶつばつ」ではなくて「ぶつばち」と読むと辞書にあります。そういえば、「そんなことをしたら罰(ばち)があたる。」などと日常でも使います。ただし、仏罰は、功徳と違って、仏様が与えるわけではありません。「仏教の教えに背くことにより、自然にこうむるもの」と、されています。
 悟りの境地にある仏さまは、深い慈しみの心と、何事にもとらわれない広い心をお持ちなのですから、当然といえば当然です。

仏教は十悪を戒めます。
  ① 殺生 生きものの命を奪う
  ② 偸盗 人のものを盗む
  ③ 邪婬 道を外れて淫らに交わる
  ④ 妄語 嘘をつく、人を騙す 
  ⑤ 両舌 それぞれに相違したことを言って、仲たがいさせる
  ⑥ 悪口 人をあしざまに罵る
  ⑦ 綺語 真実に背き、巧みにことばを飾る
  ⑧ 貪欲 飽くことを知らず貪る
  ⑨ 瞋恚 逆らうものを憎み怒る
  ⑩ 邪見 因果の道理を無視して考える

 身(身体)、口(ことば)、意(心の働き)の三つを三業といい、これらの善悪が、苦楽の結果(報い)に結びつくと仏教は説きます。
 十悪のうち①から③までが「身」に、④から⑦までが「口」に、⑧から⑩が「心」に該当します。
 十悪は仏教の教えに背きますから、当然、仏罰を報いとして受けます。
 しかしながら、十悪を一切犯さない人など、この世にいるでしょうか。また、ものごとは縁によって起きたり消えたりします。人を殺したことがないといっても、たまたま平和な日本で生きているので、そうであるだけかも知れません。罪を犯していても、気づかないということもありえます。
 でも、ご安心下さい。お念仏があります。お念仏の功徳は十悪による罪業を、「まるで湯が雪を消し去るように」取り除いてくれるのですから。また、法然上人はお念仏を称える事によって「十悪五逆」の衆生も必ず極楽往生がかなうとお説きです。
 もちろん、「念仏さえとなえていれば、十悪などへっちゃら」などと考えてはいけません。過去の罪障は消えても、十悪が仏罰を招く自業自得の悪業であることに変わりはないのですから。

合掌

※ 五逆とは父母や悟りを得た人を殺害する、僧の和合を乱す、仏身を傷つけるなど、最も重いとされる罪のこと。

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