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2022-12-01

お念仏の功徳

食いっぱぐれの浪人、十蔵は辻斬りに成りはてます。闇夜に乗じて物陰に潜み、通りかかった安吉を一刀両断のもとに切り捨てて懐の金銭を奪います。地面に横たわる屍に合掌してつぶやきます。「迷わず往生しろよ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」三文芝居そのままの一場面、はたして、十蔵の念仏で安吉は極楽浄土に往生できるのでしょうか。

 「慈悲の心を大切にし、良いことを行い、悪いことをしないようにする」ことは仏教徒として当然のことだと、法然上人は説かれています。辻斬りの十蔵に慈悲心があるとは思われません。また、殺生と偸盗は仏教が戒める十悪に挙げられています。十蔵の空念仏で安吉が往生するはずはありません。それどころか、無念の最後を迎えた安吉は幽霊となってあたりをさ迷い、十蔵は悪業の報いで、地獄に落ちる・・・などと考えるのは、短絡的です。

 まず、安吉が念仏の信者であるなら、死に方のいかんに関わらず極楽に往生することは定まっています。十蔵にしても、己の悪業を悔い改め、念仏信者となれば極楽に往生します。
 殺された安吉が念仏の信者でなくても、十蔵や安吉の縁者が念仏の功徳を回向すれば安吉の往生はなかうでしょう。ことほどさように、ひとり残さず衆生を救済しようという阿弥陀仏の慈悲心は広くて深いのです。

 ただ、勘違いしないでください。「慈悲の心を大切にし、良いことを行い、悪いことをしないようにする」ことが極楽往生に必要だということではありません。そのことを心がけることは仏教徒としてあたりまえのことだということです。そもそも、仏教徒でない人が、お念仏を称えようとするはずもなく、称えたとしても意味はないのですから。

 仏教の勧める生き方は崇高な理想です。あきらめたり、ひらきなおったりせずに実践することが大切です。失敗しても大丈夫です。一向にお念仏を称えて日々を過して行けば、必ず阿弥陀様は私達を導いてくださいます。また、最後にはお浄土に招いてくださるのですから。

 一年の締めくくりである仏名会を迎えるにあたり、お念仏の功徳について確認したいものです。

合 掌

法然上人ご法語  抜粋
「念仏して往生するに不足なし」と云いて、悪業をも憚らず、行ずべき慈悲をも行ぜず、念仏をも励まさざらん事は、仏教の掟に相違する也。
(日本語訳) 「念仏して往生できるのだからそれで充分だ」などと言って、平気で悪いことをしたり、持つべき慈悲の心を持たず、念仏にも励まないのであれば、仏教徒のあるべきように反している。

諸悪莫作、衆善奉行は、三世の諸仏の通戒なり。善を修するものは善趣の報をえ、悪を行ずる者は悪道の果を感ずという。
(日本語訳) 「悪事をはたらかず、良いことせよ」というのは、過去・現在・未来の三世の仏さま方が等しく勧める教えです。良いことをする人は良い報いを、悪いことをする人は悪い報いを、来世において招くといいます。

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